TOZINE(トージン)

雑誌作ろうとしてます。

九龍ジョーが冷たい視線の先に視るモノとは?

九龍ジョーさんのメモリースティックの中には死の匂いが溢れている。それは川勝正幸さんのカルチャー評とは反対に位置しているように。

一歩引いて客観的に視るのでもなく、人々を扇動するでもなく、誰しも頭の片隅にある自分では直視できない(したくない)ような部分を代弁する。冷たくまとわり付くような感覚。水道橋博士が帯に書いているように「時代の最前列に座る男」という例えは絶妙だ。

また、本書は現代ポップカルチャーの教科書としても読める。大量のサーチワードが洪水のようにながれてくる。


鏡になってあげると大島薫が言ったように九龍ジョーは00年代の鏡なのだ。

メモリースティック  ポップカルチャーと社会をつなぐやり方